Anderson .Paak~ “「今」のモードに最もフィットしたアルバム” 『Malibu』を紐解く

2016年も明けて1ヶ月が経過。カニエ、リアーナ、ドレイクの新作もしっかりアナウンスされたし、遺作となってしまったがデヴィッド・ボウイの『Blackstar』も素晴らしかった。こうして年初からビッグネームのいい話題が聞こえてくると何とも「一安心」してしまうものでもある。しかししかし、その裏で忘れちゃいけない、いま密かにブレイクスルーを図っているこの男、Anderson .Paak(アンダーソン・パック)のことを。昨年のドクター・ドレの復活作『Compton』に6曲参加するまではほぼアンダーグラウンド・シーンにいたこの人物の勝負作となるセカンド『Malibu』がとてつもない傑作なのだ。本稿では、8.6点を与えたPitchforkやA評価を与えたConsequence of Soundを初め各所で絶賛されている『Malibu』の「どこがポイントなのか」、「2016年という時代にフィットした所以」を徹底的に掘り下げる。(山本大地) 10_AP_2000_RT_FS_CMYK

Anderon .Paakって誰なの!?

さて、本題に入る前に本稿で初めて彼に出会うという人もいるかもしれないのでここでサラッと彼のバックボーンをまとめておく。(彼のことを知っているという人はココを飛ばしていただいても構わない。) 1986年カリフォルニアのオックスナード生まれの彼は、韓国人( “Paak”=“パク”という名前はここ関係する)の母と、黒人で空軍にも属していたこともある父のもとに生まれる。少年時代からバプティスト教会でドラムを演奏し早くからミュージシャンとしてのスキルを磨く一方、18歳までに両親が刑務所行きを喰らったり、本格的に活動を始める前には妻と子供と共にホームレス生活も経験するなど、29年間という短い期間の中で “多く” を経験している男だ。ちなみにそういった彼の “濃い” 人生はリリックにも反映されている(ここではあまり深堀しないので是非こちらでチェックを)。 2012年ごろから“Breezy Lovejoy” 名義で活動を初め数枚のEPをリリースし、2014年にはAnderson .Paakに名義を変え、アルバム『Venice』(2014)を発表するもこの時までは、レビューで扱っている媒体も少なくほぼ無名だった。しかしビートメイカー、Knxwledge(ノレッジ)とのコラボ・プロジェクト、No Knxweldgeが運よくドクター・ドレの耳に止まると彼の復活作『Compton』に6曲も参加。一気に注目を浴びることとなり本作『Malibu』はそんな彼の期待作であり勝負作ともなった。先日はDr. Dreのレーベル、Aftermath Entertainmentと契約したことも話題に。

ナマ音サウンド、バンド・サウンドに重きが置かれたレコード

さて、この『Malibu』で第一に肝となってくるのは、ほぼ全編で聴ける強いグルーヴと肉体性を伴ったバンド・サウンドだろう。重層的に重なり合うキーボードや多彩なフレーズが飛び交うギター、ホーンもあらゆる場面で登場する。機械的なリズムよりも、ナマのバンドで演奏されるからこその微妙なズレなんかも楽しい。全体的にBPM100前後のスロウ~ミッド・テンポな曲が多いので、ジ・インターネットの『Ego Death』同様、チルするにもよしだ。 もちろんこれはゲストとして参加している演奏者・プロデューサーたちの力も大きい。まず、 “ヒップホップのビートを生のドラムで演奏する” 名ドラマー、クリス・デイブを初め、ピノ・パラディーノ(ベース)、アイザイア・シャーキー(ギター)といった、ディアンジェロの作品やツアーに参加している面々やロバート ・グラスパーが参加している曲(「The Water」と「Waterfall」)があるのは象徴的だろう。プロデューサーにもジャズとも距離が近いマッドリブや、元々ギターのサンプリングの多用~サイケデリックな作風~ソウル寄りの楽曲も多く手掛けることの多いDJ・カリルジ・インターネット「GIRL」でもお馴染みケイトラナダなどバンド・サウンドを生かしたアルバムには絶妙な布陣が揃っている。 しかし何と言っても本作のサウンドの主役となっているのはパーク自身と彼をサポートするバンド、The Free Nationalsだろう。このThe Free Nationalsにはソロ作も発表しているホセ・リオス(ギター)や ミゲルのバックでも演奏経験のあるケルシー・ゴンザレス(ベース)もいるし、彼ら個々のスキルそのものも素晴らしいのだが、それ以上に本作は音楽学校時代からの仲だというパークと共に様々なプロジェクトで模索してきた、あらゆるジャンルを折衷した独特のスタイルが完全開花しての結果、とするのが正確だろう。 

その、チャンス・ザ・ラッパーでいうところのSocial Experimentとの関係にも当たるような、『Malibu』におけるパックとThe Free Nationalsの絶対的なチームワークは早速こちらの2本のTVパフォーマンスで発揮されている。まずこちら「レイト・ショウ・ウィズ・ステファン・コルベア」のライブは彼の、ソウル譲りのボーカル、そのしゃがれた声とフロウがケンドリック・ラマーを思わせるラップ、更にはブルーノ・マーズよろしく、いやそれ以上のドラミングと、そのどれもがホンモノであることを証明。そして、そればかりでなく両パフォーマンスとも、中盤以降バンドの息の合った即興演奏が見物である。フランスのTV出演時は、Jose Riosがブルージーなギターソロを弾くパートに耳を奪われたかと思えば最後はデヴィッド・ボウイ追悼として「Let’s Dance」へ繋ぐサービス付き。フロントマンとしてのパックもステージ上を歩き回りながら時には踊ったり、手拍子を求めたりとしっかり華がある。全体的にシンガー、ラッパー、ドラマーとしてのパックの才能を顕示しつつThe Free Nationalsのライブ・バンドとしての実力にも文句のつけようがない。

 

Wall Street Journalによれば本作のうちいくつかの曲は前作よりも前から存在していたのだという。確かに前作『Venice』はもっと従来的な、打ち込みのビートによるヒップホップ(「Put You On」「Already」「Paint」)やR&B(「Might Be」)、更には時折エレクトロ(「Luh You」「Off The Ground」)~トラップ(「Drugs」)~ベース・ミュージックも顔を見せるデジタルなつくりで、音の作りが今作とは大きく異なる。 なるほど『Malibu』における有機的でグル―ヴィな楽曲たちは、「バンド・サウンド=ライブ演奏でこそ活きる楽曲」として、前作とはまた別のコンセプトの作品が出来るタイミングまで寝かされていたのだろう。総じて本作は「バンドによる再現」や「ライブ演奏」を頭に入れながら作られた作品なのではないかと推測できるだろう。 (次ページへ続く)

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