[Album Review]Lana Del Rey – Honeymoon ~ (続)美しきメロドラマ

ラナ・デル・レイは”キャラ損”なポップ・アイコンだと思う。YouTubeに投稿した数曲で注目を浴び、そこからあっという間にスターダムを駆け上がった当代きってのシンデレラ・ガール、その鮮烈なデビューは賛美と同時に、なぜか批判にもさらされることとなったのだ。音とビジュアルに投影されている古き良きアメリカ、ハリウッドのイメージに隙がなさすぎたのか、はたまた前評判の高まりに対して初めてのテレビ出演でのライブが散々な出来だったことが響いたのか、それとも、その美貌と厭世的な歌詞にあらわれる悪びれないロリータ感が反感と根拠のない憶測を呼んだのか。

2012年のデビュー作『Born To Die』は“全世界で通算400万枚以上(8曲のボーナストラックを追加したリイシュー版『Paradise Edition』も含めると通算850万枚以上)“という圧倒的なセールスの実績をたたき出したのにもかかわらず、特に批評家筋の中には、ラナにプロデューサーとレコード・レーベルの手により創り出された“虚像”というレッテルを貼り “セルフ・プロデュースに長けたアーティスト”としての存在感やその音楽性を手放しで認めるのを渋るものも多かった。そして、発売週にアメリカでビルボード・チャート1位、欧米各国でゴールド/プラチナディスクを多数獲得し、多くのメディアにその年のベスト10アルバムに選出される躍進を見せた2014年の2作目『Ultraviolence』においても、ブラック・キーズのダン・オーバックのプロデュースによるギターの効いた渋めの音作りと、一貫した歌詞の世界観には一定の好意的な評価を与えたものの、このアルバムをコンセプト・アルバムと捉え、“ラナ・デル・レイ”をあくまでアルバムのストーリーの中だけの作りもののキャラクターとする見かたが根強く残った。皮肉にもそのミステリアスなたたずまいと、あまりにもよくできた世界観のせいで、ラナ・デル・レイはポップ・スターとしての資質や音楽性に対して全面的に正当な評価を受けてこなかったのではないだろうか。

この度ドロップされた新作アルバム『Honeymoon』は、どこまでも彼女を作りもの扱いしたがるそんな人々へ叩きつけた最後通牒のようなアルバムだ。このアルバムでラナ・デル・レイは前2作と相変わらず、報われない恋に身を焦がし、憂い、絶望し、自分を見てくれない男に心を捧げ、終わりをみつめたかと思えば、甘やかな一瞬のロマンスに酔いしれ、空虚さや憂いを満たすためにドラッグに浸りこんだり、他者に憐れみを注いだりしている。よくぞこんなにも嘆くことがあるものだと言いたくなるほどに、ラナのフィルターを通すとこの世は悲しいことだらけ。潔いほどぶれない自分の軸を貫きとおしている。ここまで一貫していれば、いくら現実離れしていようともこれこそが“ラナ・デル・レイ”という人間のリアルなのかもしれない。あるいは「嘘から出たまこと」で演じていたキャラクターが内面化されたのかもしれない。さもなければ、“夢を売る職業”としてこのキャラクター以外の一面を見せない彼女のプロ意識に拍手喝采すべきだろう。

YouTube Preview Image

サウンド面では1stアルバムの方向性に回帰、繊細なストリングスのアレンジと、無機質なエレクトリック・ビートをベースにし、全体的にスロウテンポな曲が多い。過去2作にくらべると一聴しておぼえてしまうようなフックのきいた曲は少ないが、息継ぎの呼吸のひとつひとつさえもがあらかじめ決められた音として配置されているかのような緊張感と、ひんやりとした清浄な空気がアルバム全体を覆い、じわじわと引き込まれる。聴いたもの全てを、目の前の日常から「ラナの憂鬱な世界」へひととき連れ去る強い力を持ったそのカリスマ性と歌声は、そろそろ「リアルか、フェイクか」なんてことでジャッジされることから解放される時じゃないだろうか。そして、そのことは、頭でっかちにならず初めから彼女の作品に熱狂し続けてきた世界中のファンによって、ふたたびチャートやセールス実績として証明されるはずだ。

Text: Minaë Tani

Honeymoon Honeymoon
Lana Del Rey

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